川喜田半泥子のe-美術館
(すべて実物を直接撮影したものです)
左から順に『茶入』、『茶碗』、『水指』で、すべて『天平』という銘が付いています
下記の茶碗なども、ほとんどすべてに銘が付いておりますが記載は省略します。
茶杓のいろいろ(窯焚きの間に竹を削って茶杓や花入をよく作っていたそうです)
竹とやきものの花入
鉄釉ぐいのみと鼠志野徳利 (このようなので美酒を飲むと 最高です) |
掛軸の部分
書
坪島土平氏(1929年1月17日生まれで現在も活躍中)は、戦時中に大阪から半泥子の窯場の近くに、たまたま疎開してきていたことから半泥子の手伝いをするようになり、ついには半泥子の跡継ぎになった陶芸家で、田口寛と親交があり、半泥子のことを色々と教えてもらったりもしております。半泥子のことを語るには、坪島土平氏のことを抜きにはできません。『土平』という号は、半泥子が付けたもので、本名の苗字の坪島の『坪』の字を左右2つに分けたものですが、実際には土の字の右側中央付近に点が付いているのが特徴で、これは土が飛んで付いたことを意味しているそうです。しかし、日本語の文字としては存在しません。少し下に掲載してある『炎芸術』の記事にその文字が印刷されていますので参照して下さい。

半泥子の自画像の掛け軸の前に正座する81歳になったばかりの時の坪島土平と令夫人
(誕生日は1月17日で撮影は1月20日)
半泥子とのエピソードなど、色々と教えてもらっております。

坪島土平作 『金彩色絵竹の子絵皿』 | 坪島土平 廣永窯 『織部花の絵陶板』 |
坪島土平さんからいただいた梅の絵の色紙
とても悲しいお知らせ
坪島土平さんは、2013年7月3日に84歳で他界されました。痛恨の極みです。ここに謹んでご冥福をお祈りします。 合掌
生前に賜りましたご厚情、ご指導に深く感謝します。もう会えないと思うと悲しくてたまりません。もっともっと教えていただきたかったです。